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■議論の余地しかないかもしれない■
-like a diary-

2003年
11

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11月28日

「・・・彼女は昭和20815日を知らないのである。僕だって生まれていたわけではないが、とにかく、いわゆるひとつの常識というやつである。

彼女の反論、いや弁解はこうだった。

『私、年表って苦手なんです』

僕は少し不意をつかれた感じになった。歴史的事実は年表の中にしか存在しないと思っている人がいることに。人がいて、事件があって、真相があぶり出されて、心を揺さぶられて、そうしたことの固まりがちょっとだけ時間の壁に妨げられているだけなのに。」(猪瀬直樹『小論文の書き方』2001年)(ちなみに、本書は、書名と内容が全く異なり、筆者のコラム集である。)

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さて、ちょっと考えてみたのだけど、目に見えない、想像も出来ないものに胸を躍らせることが出来るのは人間だけなのではないかと思う。その辺を歩いているにゃんこはきっと、目の前にあるカツオブシには目を輝かせ、胸を躍らせるかもしれないが、古代エジプトで神として扱われていた自分の先祖に思いを馳せ、誇りに思うことはまずない。(と、思う。)政治学にしても、文学にしても、物理学にしても、目に見えないけれども、自分を取り巻く世界を、言葉だけで説明して想像できるところに魅力がある。とても無駄だけれども、最も人間らしいと私は信じている。そんな魅力ある世界に踏み込む権利を人間だけが持ってるのに、捨てている人がいる。彼が言いたいのはそういうことなのだろう。

 

 

11月27日

 学歴の差というものは優劣ではないけれどもやはり「差」は存在するのかもしれない、と思うときがあった。日々、いろいろな本を読んでいるのだけれども、どうも似た感じのする作者が一定数存在することに気づいた。きっと、ある「社会派小説」とかに属する(いまいち分類について私はよく知らない。「本格」とか。)小説と、ある告発本と、あるミステリー小説。この三冊を同時に読んだわけではないのだけれども、どうも似た感じがする。その感じとは、多舌というか、説明にすぎるきらいのある部分であった。それは、そこまでいわなくても分かる、読者を説得したいのは分かるが、考え得るすべての反証についての考察を書かなくても済むのではないか、と思う点である。実際、私だけがそう思ったわけでもなさそうなのだ。アマゾンやbk1のサイトの書評投稿をみていても、同様の感想が三者とも投げかけられていた。作者達の経歴をみたら、いずれも高卒者であった。偶然の一致だろうか。浅利通明『大学で何を学ぶか』は、十年くらい前のベストセラーであったが、彼は、高卒者と大卒者との決定的な違いは「余裕の有無」ということに集約される、と書いていたような気がする。(優劣ということではない。)多舌の原因はここなのだろうか、と最近考えている。ちなみに、その三著ともベストセラーですぐれた作品であることには間違いない。

 

 

11月26日

寝坊をしたときのためとか、遅刻しないようにとか、安全を見越して、時計を進めておく人がたまにいます。私は今まであれをどう考えても理解ができませんでした。だって、時計を進めた本人が知っているのだから、意味がないのではないか、と思っていたからです。

さて、私の携帯電話の時刻は6分前後ずれていることが分かっています。さて、この「前後」というのが微妙なのです。取りあえず、正確な時刻よりは早いことは確かなのですが、それが本当にどれだけ進んでいるかがいまいちわからない。(正確に言えば、ずれを時報や正確な時計で調べることをしたことがない)そうです。つまり、時計を進めた本人がズレを知らないのだから、(実際には何故携帯電話の時計がずれることになったのか分からない)上の「意味がない」という結論へ至る前提が崩れているのです!

私は、結構時間に正確に動いていると思う。(もっと「正確に」いうならば、取りあえず、時間に遅れることが少ない方だと思う。)

 

 

11月25日

 だんだんと街が年末の賑わいをみせてきていますね。今年やり残したことを急いで片づけるのか、来年するべきことをちょっとだけ先取りしたいのかどうか分かりませんが、なにかと、取りあえずすませてしまおう、そして多くのものは未解決なのにすんだ気持ちになるだけで、帳消しにもなっていない借金を帳消しにした気分で色々見ないふりをしようとしているたくらみが見え隠れしますが、この際どうでも良いことなのでしょう。(私としては、だったらすまさない方がまだましなのでは?とも思ってしまいますが)

ただ、年末前のサンタさんのイベントについてもいえることですが、年末の賑わいは、寂しい人をより寂しくさせる効果を持っているのではないかと思います。街を彩るイルミネーションの輝きと輝きの間にある闇は、そんな寂しさの表れなのかもしれない、と思ってしまいました。みんなで楽しく年末を過ごしましょう。

 

11月21日

 久しぶりに、番外編をやってみよう。

どこに売っているのかわからないもの。

○熊・ウサギ・狐等を捕獲するための罠

○防音室・隠し部屋(脱税などに使われると思われる)を作ってくれる業者

○風見鶏・避雷針・百葉箱

○国旗・横断幕・徽章

○石臼・水車

 と、色々考えてみたのだけど、だんだん必要かどうかわからないものをあげているものに気づく。そして、何よりも、これらに革新的デザインなどの手を加えれば一躍市場を席巻できるのではないかと思った。逆説的だけれども、目につかないところに既存で最新のビジネスツールだとかモデルを導入するとその世界は一変する。さて、あなたはスタイリッシュな百葉箱や、癒し系横断幕がほしいだろうか?

 

 

11月20日

旅行の話を続けましょう。岡山では、友人が自転車を用意してくれて、市内をうろうろしました。旭川という大きくて綺麗な川が流れる市内を彼が通っていた高校を見に行ったときのこと、橋を渡ったときに彼が「高校にいたときに毎日この橋を渡ったんだ」と言っていました。そのときに、私には、目に浮かぶのです。彼が学生服を着ながら、自転車で学校の帰りに橋を渡りながら岡山城や市内のビル群の方に目をやっている姿が。大きな空の下で、川沿いで友達と話し合ったりしたんだろうなー。

私が言いたいのは、都内ではこんなことはないからいいな、とかそういうことではありません。きっと、というか、確かに私も井の頭公園でぼーっとしていたことが通算何百時間あったことでしょう。そうではなくて、今回そんなことに思いを馳せていると、日々の生活で自分が求めているものそのもののように思えてきたのです。いま、自分の周りにいてくれる友達としたいことそのものということです。NYから帰ってきたら、日々こんな生活をするための方途を探すことを目標にしようか、と帰りの車の中(津山東京間670キロ)で思っていました。

 

 

11月19日

 数年ぶりの、長い旅行から帰ってきました。今回も本当に多くの人に会い、よくして頂いた。感謝することしかできないことが多少悔しかったりします。行くたびに思うのですが、私は西の地方(関西・中国・九州)が大好きです。一度住んでみたいとも思っています。それが何故こんなにも惹かれるのだろうか、と考え続けていましたが、今回答えの一つが出たような気がします。

 勿論、夜ちゃんと暗くなり、それなりに自然が残っている風景が好きで仕方ない、ということはあります。このほかにも、実はある点に気づきました。それは、今回は全て自分の車で移動していたから気づいたことなのですが(実に全行程2200キロ)一時間あまり走らせれば全く違う都市にたどり着けるということなのです。例えば、神戸から一時間半くらい走れば、岡山、姫路、大阪、京都、奈良、徳島もう少しがんばれば和歌山、鳥取、尾道にたどり着きます。休日ごとにどこに行こうか、と考えている自分の姿を想像するになんて楽しいのだろう、と思います。東京から一時間半ではあまり特徴のある都市につくとは思えません。(というか、都市部を出るだけで一時間かかる。)筑波くらいでしょうか?

 

 

11月12日

私の後輩のHPにも先輩Kの言葉として書いてあるのですが、「雨降ってずぶぬれ」っていう言葉があります。(笑)それは私の言葉です。やまない雨はない、とか、いつか夜が明けるとか、いつか春は来る、とかいうけれども、雨が降った後は、ずぶぬれだし、夜や冬の間中は体は冷え切っているし、そんな中で次の季節を迎えなくちゃいけないことが本当に辛いことだと思ってやみません。それは、自分が、というよりもでも、自分の周りの人がそんな状況にある方がより強い傾向にあるかもしれません。ただし、その人が見つめる未来に何かがあるのなら、次にくる季節がきっとその人を素早く暖めてくれるのだと思います。そして、私たちが出来るのは、その程度のことで、それ以上でもそれ以下でもないのだと思います。(つまり、受けた傷を癒すことは出来るわけでもなく、早くどうすれば忘れることが出来るか、という問題の本質からはずれた措置に終始することしかできない。)でも、そのことしかできない、っていうことはすべきことはそういうこと、っていうことなのでしょう。ただし、私であれば、すべきことは分かっていても、行動に移せるかどうか分からないな。

 

 

11月11日

さて、私にとっては月の裏側の事よりどうでもいいことですが、色々選挙もあったことですし、多少政治(っぽい)話しをしてみましょう。自民党党本部に何度か行ったことがあるのですが、1階ロビーで待っていると面白いものが見えます。エレベーターから議員が降りてくると受付の女の子が、「○○先生のお車をお願いします」とアナウンスが流れるのです。そしてその議員が役付きであると「○○大臣の」とか「○○政務官の」とか「○○政調会長の」とかと役がついて呼ばれます。すると、駐車場で待機していた運転手が玄関前に車を回すのですね。名前・役を全て頭の中に入れてあるのにびっくりしました。(ちなみに本当にどうでも良いことですが、今をときめく安部晋三は、エスティマハイブリッドの後ろ二列を一列に改造したものに乗っています)

私は、選挙が終わったり、内閣改造があったりすると、あの受付の女の子たちは今頃必死で顔と役を覚えているんだろうなー、大変だよねーとそれとなく思ってしまうのです。(そしてこれ以上の感想をおぼえることは全くない。そこに生産性だとかを考えても行けないのだと思う。きっと、源氏物語を研究することとその研究が世の中にどんな役に立つのか、といったことと同じ事)

 

 

11月10日

 おかげさまで、ずいぶんこのコラムも進んできました。(最近多少息切れ気味だが)さて、これを始めるまでは、毎日書くとするとどんなものが面白く読んでもらえるのか、ということについて終始考えていたのです。結局以前の『おやすみICQ』と同じようなものになってしまったのですが、これ以外の第一候補になっていたのは「数字を比べてみよう」ということでした。毎日一つずつ同じような数字を比べてみて感想を書いてみる、というものです。例えば・・・

     衛星みどりの回復不能になったが、この額はダムなら10箇所は作れる。イーグルを10機(1400億円)

     日本の一年間の自殺・行方不明者数はアメリカがベトナム戦争の10年間で出した戦死者数とほぼ同じ。(6万人弱)

     ベトナム戦争時の米軍少尉の平均生存時間と山手線で池袋〜渋谷の移動にかかる時間が同じ。(16分)

     成田〜サンディエゴ往復代とバブル時平均株価最高値がほぼ同じ。(39000円)

 どうですか?それなりに楽しいと思うのですが、さすがに1200日続けるとなるとそれと同じくらいの準備期間が必要なんですよね。

 

 

11月6日

「ところで、これは私だけの経験なのだろうか?」って思うことが多くあります。実は今日もありました。目覚まし時計に何を使っていますか。携帯電話を使っている人が多いと思います。私もそうです。そして、目覚ましの音楽に自分の好きな曲を使っている人がやはり多いのだと思います。毎日起こされていた曲を、CDなどの他の音源で曲を聴いていたところ、なんと虫酸が走るというか、嫌悪感というか、そんなものを感じてしまいました。パブロフの犬の様なものなのでしょう。毎日睡眠を妨げられている音楽を流されると、その不快感がよみがえるのだと思います。そこで、今度は中学・高校の頃に起きていた曲を聴いてみたところやはり、しっくりこない。むしろ、音量を上げて聞いてみると嫌な感じがするのです。これからは、そこそこ好きな曲を選ぶことにして、大好きな曲を嫌いになるのはやめようかと思います。

 さて、ここで疑問が生じる。大好きな人にモーニングコールを頼むのはOKか?

 

 

11月05日

 3日の休みに、バイオリンとピアノの小さなコンサートに行きました。その名も『地元のアーティストの演奏を聴こう』という会が主催したもので、会場までも徒歩五分。アーティストも私の利用する駅である浜田山を利用するくらい近所の人でした。多少プログラムの一部があまりにも簡単なものがあったかと思いますが、なかなか楽しかったです。世界で活躍するアーティストが近所の会館で200人あまりの前でパフォーマンスをみせてくれるというのはなかなか「お得」なものを感じてしまいます。多くのアーティストって東京出身ですよね。何故でしょう。高所得者が多い、ということもあるかもしれませんが、私はなによりも高い品質の作品や演奏にふれることが出来ることがポイントだと思うのですがどうでしょう。今回のように短い時間でも安い値段で質の高いものに触れる機会があることは大切にしたいものです。

 

 

11月04日

 年に一度か二度くらいしかドラマをちゃんと見ることは無いのだけど、今クールは実は二本も一度に観ています。それは『TRICK』と『白い巨塔』。そうです、木曜日に連続してやっているので、観てしまっています。(そしてメインは『TRICK』のほう。)どうやら『白い巨塔』は名前もあらすじも何十年も前にやっていたものと同じものらしい。内容は大学病院での権力闘争なのだけれども、今観ても全く違和感はないし、私はもっと呆れた騒ぎを繰り広げている医者を知っています。(きっと現実より手加減してシナリオを作っているのでしょう。)なによりも驚いてしまうのが、私が生まれるよりも前にやっていた世界をそのままドラマにしても現在に苦もなくフィットしてしまうことでしょう。さて、現在の先行きの不透明さや、テクノロジーの行き詰まりなどを引き起こしているのは、学力の低下した大学生でも、すぐにきれる高校生でもなく、幼稚な乱痴気騒ぎと既得権確保に奔走している団塊の世代以上の世代に他ならないことがよくわかるものです。そんなことはだれでもお見通しなのも自明ですね。そう、呆れて死んでくれるのを待つだけにしているのに気づかないのは当人だけだってことでしょう。

 

 


 

 

 



by kiyo