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■議論の余地しかないかもしれない■
-like a diary-

2003年
9

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9月26日

 私は、原監督のファンでした。個人的には、日本一を達成した後にたかだか一年、成績出せなかったからと言って薄情なフロントだなと思うけれど、堀内さんって、原さんと比べて、よほど華が無いじゃないでしょうか。良いのか、ナベツネはそんなことで。記者会見で、原さんをつるしあげてもはじまらないと思うし、あんなに指揮内容について語っているということは、フロントが監督の指揮権を犯しまくって混乱させた結果Bクラスになったことを暗に語っていることに他ならない。そういえば、私は、以前部下が望むポジションにつけてあげてチャンスをあげる原さんの姿勢を評価したような気がしますが、ナベツネってほんと対照的だったんですね。フリーハンドを与えること、他者の前でつるし上げないこと、人や組織を回すことのポイントは本当にいろいろなところで学ぶことが出来るものです。

どっちにしても3年後には江川監督誕生を密かに望んでいたりします。原さんも、ちょっと外の世界を見てまた帰ってくればなーとも思っています。

 

 

925

 東京ってどんな街?って聞かれたとしても、どんな風に答えるのか困ってしまうのですが、大手町ってどんなところ、新宿ってどんなところ、と聞かれると結構答えることが出来るんじゃないかと思いました。

 一番街の違いが出るのは帰宅時間かもしれません。例えば、永田町・霞ヶ関の人たちはとても明るい顔をしているのに対して、新宿では、みんながみんなスーツが着崩れ、しわくちゃ、めがねが曇っています。(霞ヶ関でも、日比谷公園の銀行街側の人は着崩れこそしていないものの、とても暗い顔をしている。)他方、赤坂・六本木のあたりにいくと、私は外資で高給取りにありつけました、というメッセージがにじみ出ている、明るいカラーシャツ、薄いグレーのスーツに身を包んだ人が多い。大手町にいくと、典型的な日本のサラリーマン。恵比寿・目黒あたりだと、明らかに勤め人なのだけれども、もはやスーツをきなくなっている。(IT・出版系か?)

 実は、こういう人の層の違いというのは電車でもみることが出来るのです。井の頭線・中央線・京成・西武、それぞれに特徴があるのですが、みなさんはどんな印象を持っていますか。

 

 

9月24日

 雲はもっとも夢幻的な《詩の対象》のひとつに数えられる。それは白昼の夢幻状態の対象である。それは気楽に束の間の夢想を誘いだす。人はしばし《雲の中に》いるが、実際的な連中にやんわりひやかされて地上に帰ってくる。どんな夢想家も雲に空の他の《徴候》のように重大な意味づけをするものはない。一言でいうなら、雲の夢想には特殊な心理的性格が認められる。すなわちそれは責任のない夢想である(ガストン・バシュラール著『空と夢』 第八章『雲』)

 

 空、風、雲、日光、高山、飛行、墜落、上昇、下降、我々の心象風景の中で、空間はいかに形象化され、いかに意味づけられているか。こんな魅力的なテーマで、古今東西の詩や小説を次々と分析した本、それがガストン・バシュラールの名著『空と夢』です。私も時々「空を飛ぶ夢」を見ます。平泳ぎの体勢で空に浮かび、ゆっくりと空気を掻き分けて進む時、こんな簡単なことが何故今までできなかったのかと不思議に思うほど、楽々と、軽々と、伸びやかに、自由に、

 

 

9月22日

 今日はアメリカ大使館までビザの申請のための面接をしに行きました。大使館の門の前で一時間、門を入ると、ビルの外で一時間、中にはいると待合室で三十分、立ちっぱなしで待たされました。その間、トイレもありません。(門の外の他のビルまで行かなければいけない)今日は肌寒いものの気候がよかったのが幸いしました。これが炎天下であったり、寒かったりしたら大変です。私の後ろの人は親子連れでしたが、お父さんが「ひどい国だよなー。身内の国にもこんなことするんだから。」と漏らしておりました。なるほど、きっとイラクに自衛隊を派遣しないことの意趣返しなのかも。newsweekでも一月に一度くらいの割合でアメリカが嫌われれている・・・と書かされていますね。前回は、アメリカの大学の水準は主にアジアからの留学生によって支えられているのに、他の国に人材が流れてしまう、とか。

 さて、私はその水準を上げるほどのレベルがあるわけでは毛頭無いのでこの扱いには半ば納得することにしよう。何十年も前から留学生を保護し、親米家を各国に作り続けてきたアメリカの留学生政策が変換している。

 

9月19日

 さて、フィリピンの良かったところをあげてきたので、今度はネガティブな点を書いてみましょう。それはなんといっても、ODA(政府開発援助)など他国からの援助漬けになっているところです。あらゆるインフラが他国(大半が日本)によって作られ、富裕層もその結果生まれている。富裕層といってもかなりの数がいるのですが、色々話を聞いているとどうしても、その階層間で水平的に富の分配が行われているだけの模様。富や資源の効率的配分は資本主義の鉄則の一つでもあるけれども、どうもうまくいかないらしい。そして、そのメソッドを与えたのは他ならぬ日本らしい。(つまり富の水平的分配システムは日本を模している。)私は以前から、アフリカ・中東の惨状はヨーロッパの責任であると考えていた。もし、フィリピンに問題があるとしたら、それはアメリカと日本の責任に他ならない。

 

 

9月18日

 今日もフィリピンの感想を書きましょう。

 フィリピンに私が勤めている法人の現地事務所を開設する準備のための視察をしてきたのが一つの仕事です。(他にもいくつかある)私は、フィリピンはとても住みやすいところだと思いました。アメリカに縁あって何度か行く機会をもったのですが、とてもにていると思います。ずいぶん発展したらしく町並みも、ショッピングモールの中身もアメリカそのもの。なにより、住人がアメリカのファッションやライフスタイルそのままというのが良いと思いました。韓国や中国のスタイルはまねているかもしれないけれども、どこか日本の一昔を彷彿とさせるような、田舎者っぽさがあるとおもいません?国民性にしても、韓国・中国と違って、いつかおまえを乗り越える!という野心が見え隠れしません。かなり忠誠心が強い。使われることになれている。(800年近く他国に統治され続けているかららしい)とても労働市場としては上質なのではないでしょうか。最近の現地生産のトレンドが中国に向かうのがいまいち理解できないほどです。

 

 

9月17日

一週間弱くらいフィリピンに出張に行っておりました。

初めてフィリピンに行ったのですが、最初のイメージでは破綻国家そのもの。富の再分配は全く行われず、国家機能は腐敗し、町には貧困が蔓延している。そんなイメージを抱いていったのですが、実はそんなことはなく、アメリカそのものでした。どこにでも、道路上でものを売る人はいるものだし、乞食もいるものです。その数が多いか少ないかの違いであって、アメリカの町並みとそれほどかわらないのですね。中国人が多くいることも特徴でしょうか。町を歩いていても、都心部は安全らしく、凶悪犯罪はすくないとのこと。東南アジアはいってみないと分からないものですね。どうして、こうも安全な感じがするのか考えてみました。それは、きっと体格のせいだとおもいます。フィリピン人は日本人より一回りくらい小さいのではないでしょうか?アメリカなどではボブサップみたいな化け物がごろごろ。武器を持っていても勝てそうにありませんものね。そんな差が安全感の原因だと思いました。

 

 

9月10日

 こうして毎日、サイトを続けている動機とは、もしかすると華やかなりし1999年前後のときの楽しさが戻ってくるのではないか、という幻想があったのだと思ってきた。もちろんそれは、幻想でしかなかった。(とはいいつつ、毎日色々書いていくのは楽しいと言えば楽しい。)

 ただひとつ、いいかげんに大人になりたいと思った。僕の思う大人とは、自意識の分解能が高い人だ。遠くにある最終目的をちゃんと他のなにかとすり替えたりせずに見失わない人のことだ。自意識と表現欲はとても近いところにある気がするけれど、自意識の分解能が低いとみえることも言ってることもやってることもしらず濁ってくる。なんかこれって違うなあ、とぴったりしない気持ちを抱えたまま、その理由から目をそむけて暮らしてしまうのは不幸だ。
 しかし、こうした概念的な話というのはスナック菓子みたい。書いている気分も自己管理、ダイエットに失敗した人間のそれに近い気がする。こういうことはいくら考えても書いてもなにも僕に与えてはくれない。簡単に口に放り込めるスナック菓子みたいなもので。ちゃんとした食事を作って食べた方があとあと体は気持ちいいこと。体が引きしまればもっと楽しい気分になって、遠くにいけることを知りながら。つい手をだして、なんとなく空虚なものでお腹は満たされるばかり。そういうのも、こういうのも、ほんとに厭になる。夜にはみっつある頭のうちいちばん愚かな夜専用の頭が考えてるので何もいいことがない。

 

 

9月9日

 ちょっと前のことですが、8月19日にイラクでテロにより国連事務所が爆破されたことを覚えているでしょうか。国連職員に死傷者がでました。
 ところで国連の職員ってどうやって採用されているか知っていますか。ごく普通に採用窓口があって、誰でもなれることになっています。ところがその要件は多少厳しく、少なくとも修士号をもっていることとされています。例えば、アメリカで大学・大学院と6年から7年過ごしたらその学費はいくらになるでしょうか。一流になればなるほど高くなるのですが、下を見て、3千万円です。この事件で少なくとも20人の職員が死亡したと言うことですから、6億円が失われたことになるわけです。(最低の見積もりだから、実際にはもっと多い。)ニュースなどで国連職員がTシャツを着て、作業に当たっていますが、彼らもまた修士号・博士号を取得した者であり、彼らを作るために費やされたコストはとても高いのです。この事件をみて、こんな見方もあるのかもしれないと思ったので紹介してみました。
 死亡したデメロ国連事務総長特別代表は、裕福なブラジルの家庭に生まれ、フランスのソルボンヌ大学・大学院を卒業し、4カ国語を話せたそうです。
 

 

9月8日

さて、今日から復活します。

「厄年」って信じていますか?私は信じているかどうかも分かりませんが、都合の悪いことを全部厄年にしているかもしれません。厄にしても風水にしても、どういった神秘的とも思えることを信じるか否かではずいぶん争いがあるかもしれません。私はそこに科学としてもっとも大切な「再現可能性」があれば、因果関係を説明できなくても利用してはどうか、と思っている方です。さらにいえば、そのために払うコストが日常の余暇の範囲を超えない限りであれば、費やしてもいいのではないか、と思っています。なんでこんな話をしているかといえば、二週間も風邪を引きました。最初の一週間は首が外から見て腫れるくらい、唾液腺まで赤くなるくらい、喉が腫れて全く声が出ませんでした。次の一週間はなかなか熱が引かずだるさと寒気に苦しめられました。不摂生をした覚えはありません。不運の範疇にはいるくらいの突然の風邪でした。五月もたしか病気をしていたと思います。

 たしか、今年の正月に、暇をもてあまして厄払いにいったはずだったのですが・・・。

 

 


 

 

 



by kiyo