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■議論の余地しかないかもしれない■
-like a diary-
2003年8月
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8月29日 『日経・会社情報』という本を知っているでしょうか。『四季報』の日本経済新聞社版みたいなものです。私は三年くらい前からこの本を三ヶ月に一度作る仕事に携わっているのですが、その苦労たるやすごいものなのです。 日本中の一万以上の企業の業績・株価・コメントなどを全国の支社の記者・電算センターの計算機・数値分析家などのフル稼働の集大成なのです。それを三週間で、原稿を集め、青焼きを作り、修正点をチェックし、差し戻し、編集し、また、原稿を作るという作業をするのです。そのページ数は辞書よりも厚い。「あ、君はバイトだったね。バイトだから早く帰って良いよ。」と言われて帰れるのが大体明け方三時。社員の人はいったい何時に帰るのでしょう?それくらいハードな職場。毎回指名をいただけることを幸いにして、手伝わせてもらっているのですが、なかなか学ぶことが多いからやっているのでしょう。 本屋さんの片隅においてある情報本をみるたびに、あーこの本もどのくらいの苦労が詰まっているのだろう、と思わずにはいられなくなりました。優秀な社員が何百人も投入されて、過酷な労働をして作り上げられた『日経・会社情報』をよろしく。
8月27日 ある友人のHPで24時間テレビのことを書いていたのをみました。私もいま風邪を引いて気の利いたネタを書く元気もないので、べたべたですが、24時間テレビについて書いておこうか。 今年は誰が走っているんだろう?とか思っちゃいかんのだろうか。あ、山田花子だ。24時間日テレ善人デー。この番組をちらとでも見てしまうと、日本という国には、こんなにも障碍者が一杯暮らしていたんだと気付かされる。テレビは罪だなと思いますね。普段は、世間には、障碍者なんか一人もいない北朝鮮美女軍団だけで世間が成り立っているような番組編成で視聴率を稼いで、年に一度障碍者の元に黄色いシャツ来て現れる。偽善とか、そういう単純な言葉で済ませては行けない問題だと思う。 でもちょっと計算してみれば解るけれど、別に走らなくても24時間あれば110キロくらい移動できるんだよね。20時間を移動に当てると、時速5.5キロで歩けばいい。大人がちょっと急いで歩く程度のスピード。幻想の熱に浮かされていることは素敵なことなのだなーってつくづく微笑ましい番組でした。来年は誰が走るんだろう?
8月26日 『奇跡の脱出!』というわけわからない番組を仕事場で見て・・・
イノシシに突進されたら傘を開く。攻撃目標の人間が見えなくなるから。だか ら透明ビニール傘は駄目。 熊に襲われたら、ビニールシートを頭上から広げて全身を隠してバタバタと音 を立てて振る。 車のトランクに閉じ込められたら。ワイヤー探って引っ張る。国産セダンの70 パーセントが同じ構造。 後ろ手に縛られる時に両手を結んでこっそり親指を交差させると、紐で結ばれ た後に遊びが出来て解けやすくなる。 子どもがベランダから落下しそうな状況では、下で毛布を斜め広げて落下の衝 撃を和らげる。水平に広げて持つ衝撃を全部受け止める形になり、毛布を持って いられないが、45度傾けると衝撃は半分になる。
さて、貴方は、熊と出会った時にビニールシートを手に持っているだろうか?イノシシと出会う確率は?車のトランクに閉じ込められたり縛られたりのリスクをお持ちだろうか?まさか毛布を持って団地やマンションをうろつくわけにも行かないし……。うん、これは奇跡の脱出と言うよりトリビアですな。
8月25日 年を経るに従って自由度が増して好きなことができる、という命題は真だと疑ってないのですが、今日友人と話していたところ、変なことを思い出してしまいました。小学生の頃、文化祭で何の演劇をして、どの役だったのか、ということです。私は特技といっても良いと思っているのですが、必要がなくなったと思ったら忘れることができます。(ですから、一生会う事がないだろうなと思った小学校・中学高校のクラスメートの名前・顔などはすっかり忘れている)ところが、話しているうちに思い出して意志待ったのですね。私が何の役をしたのか。それは、小学校二年生の時は「コスモ」、四年生の時は「隕石」と「電子」の役(二つセット)でした。今でも台詞は覚えています。なにしろ、「コスモ」のときの「そうだ、そうしよう!」しかないのですから。(「隕石・電子」は暗闇の中をふらふらしているだけの役だった)役を決めるときにできるだけ目立たない、地味な役にしようと思ったのも覚えています。いまでもその選択は支持します。過去の私の判断としては良い出来の方だと思っています。 思い出したこと自体が私にとっては事件だったので今日のコラムに書いてしまいました。「そうだ、そうしよう!」コラムに書いてみようって。
8月22日 押しつけがましい常套句をいう人を見ているとおもしろい。(私の友人であるるっぱさんもきっとそんな風景を楽しんでいる風だ。)関心をもってしまう共通のツボかもしれない。私にとってみれば、ちゃんと考えてなさ加減・荒唐無稽さが面白いし、それはワザとなんだろうな、って思っている。私もワザと面白いために使ってみる。本当に皮肉で言っているのではありません。他に頭を使うのが忙しいだけなのでしょう。さて、例を挙げてみましょう。 ・ オリンピックやワールドカップは本当に日本中が熱狂させられたのか ・ 高校球児の青春は塾通いの子供より美しいのか ・ リサイクルは本当に良いことなのか ・ 自然はかならず美しいのか ・ 昔はそんなに良い時代で、今は悪い時代なのか ・ 物質的に豊かになれば精神的に貧しくなるのか ・ 友達を作ることは必ず良いことなのか
しかし、自分の子供にこんなことばかりを言ってのける親をみているともしかすると彼は本気にしていることなのかもしれない、と思ってきてしまう。私と親しくしてくれている人くらいは自由な発想で私を楽しませてほしい。
8月21日 ある大切な友人のHPで私の書き込みに返事を下さったことを読んでいてとてもショックでした。 「あなた程の人なら同じ内容にしてももう少し他の言い方ができたはずなのに、あれ以来2度と会いたくないと思わせる程のことをなぜいったのか、ずっと不思議だった。私と会ってしょうもない話を聞かされることが苦痛だったなら、断ればよかったのに。」 もちろん、過去にその人のことを私の言葉で傷つけてしまったことについて数年後に回想してくれた文章です。「そんなつもりでは・・・」、「実は・・・」、「私がいいたかったことは・・・」など私がその人に伝えたい、分かってほしいことは山ほどある。でも、書くことはやめました。少なくとも対等ならば、相手の表に出た言葉だけのみで判断するのが、誠実な接し方であり、相手の言葉の裏にあることなど考えることなど「おこがましい」ことだと思っています。私がそのスタンスでいる以上、私自身にも課さなくてはいけないことだと思いました。相手を傷つける目的でそんなことを言った、と思われてしまったのならば、そっちの方こそ真実であると。すなわち、私がすべきことは、誤解を解いたりすることではなく、私が過去の傷つけ「よう」とした意志を持っていたことについて反省しなくてはならないと思いました。私自身の未熟さのせいで尊敬すべき大切な友人を失うことについて恐怖までも覚える位になった辛い辛い経験を色々思い出してしまって、その人との関係を何としても取り戻したいという切望を自覚した。
8月20日
小田嶋隆の無資本主義商品論というコラムが『噂の真相』で連載されており、良く読んでいました。(今あるの?)随分前に、彼が、「ダディ」に引っかけて、世間のお入学騒動をおちょくっていたことがあった。(つまり郷夫妻は、次女が慶応幼稚舎への入学式を終えた後に離婚を発表した)。 ちなみに私はお受験・お入学の権化のような教育を受けてきた。
8月19日 さて、昨日は思いもかけず、「国際法模擬裁判大会」なんていう思い出話をしてしまったので、月に一度の番外編はこれに関係したことでやってみましょう。とっくに忘れようとしていたことだけに、一度思い出してしまったら最後、当時の勉強等に使った資料を見返してしまった。大会のプログラムに、出場校のチームの紹介が載っていた。私たち、「被告」のチームは、それぞれチームメイトを他己紹介していた。私について、他のチームメイト四人がなんて書いたかを紹介しましょう。 ・ 被告会幹事。Kiyoさま! ・ いつもみんなをアッといわせるようなアイディアを提案してくれるきよ様 ・ あらゆる面で他を寄せ付けない優等生 ・ 物知りなパパ らしいです。(もちろん「様」をつけるように言った覚えは一度もない) さて、どうですか?まぁ、いろいろ誤解があるもんだ、というのが私の感想です。電話口で、レストランで、車の中で、駅までの道のりで、あなたの自宅で、ネットでの私を紹介してくれるとしたらどんなになりますか?私でさえ千差万別の評価です。自分はあのフィールドでどんな評価をされているのでしょうね?ちなみに私は気にしたことありません。
8月18日 先週なんとなく『タモリクラブ』という番組を見ていたら、十校位の主に工学部系の学生団体を集めて、作ってきた円筒状のコンクリートに圧力をかけてどこまで持つか、というコンテストをしていた。この類いのコンテストは実はコンクリートを研究する研究室では有名。この様子を見ていたら、私は、そういえば自分ももう三年も前に「国際法模擬裁判大会」という大会に出場したことを思い出した。コンクリート破壊コンテストと同じくらいマイナーな大会だ。大学の四年間なんて、ふつう、最初の二年間だけが華で、四年生になれば就職活動と卒業準備で大忙し。三年生は、その狭間で、荒涼とした世間へ放擲されることにあたふたして、結局したいと思ったことをしようともせず終わってしまうもの。振り返ってみると、三年生の夏に、「裁判大会」に京都まで行って出場し、さらにあろうことか弁論人として恥ずかしながら裁判長の前で弁論までしたんだったなー、と感慨深くなってしまった。考えてみれば、法学科の科目の中で一番かっこよく思ったからなんとなく選んだだけの国際法のゼミだった。私は仕方なしに大会の準備のための勉強を一生懸命何ヶ月も続けてた。 高校野球をことさら熱く・美しい青春のように報じられているけれども、いつだって、どこだって、死力を尽くして頑張っている人がいる。また、その端緒は私のように、実は「なんとなく」とか「成り行き上」だとか、そんな不確実と偶然が左右した結果にすぎない場合も多いことをその夜ベッドの中で思ってしまった。
8月15日
魔法って使いたいと思ったことある?そりゃ、みんな小学生とかそれより小さいときは思ったことあるでしょう。でも、僕は中学生や高校生になっても結構本気で魔法が使いたいと思ってた。今でも、僕の部屋の本棚に数冊残っているけど、あの頃、大学の先生が書いた専門書とかも読んだもんだった。難しい本なら本当に魔法が使える方法があるかなって思ってね。ファンタジックな小説も読みふけったなー。今なら「ボグワーツ」っていうのが共通の知識になっちゃったのかな?僕が夢中になっていた頃は魔法の学校だって無数に存在したさ。「○×の塔」とか、「△□魔法高等学院」とか。空が飛べたら、明かりを指先から出すことができたら、みるみるうちに傷が治せたらとか、そんなことができるんなら、一生懸命僕は魔法の勉強するのに!なんで、こんなつまらない中間テストに僕は頭を使ってる暇なないのに!って呟いたことは何度もあったさ。
8月14日 ジュリエット:「あの高い石垣を、どうして越えてきたのですか。」 ロミオ:「恋の軽い翼で、超えてきました。石の衝立で恋は遮れない。恋のなし得ることなら、恋は何でもたくらむ。」 ジュリエット:「どなたの手引きで、ここへ?」 ロミオ:「恋の手引きで。まず恋が探せと命じたのです。恋が智慧を貸してくれ、私は恋に目を貸しました。私は水先案内ではないが、あなたがたとえ最果ての海に洗われる渚であろうと、必ずそこに漕ぎつけます。これほどの宝を手に入れるためなら。」 (シェークスピア『ロミオとジュリエット』第ニ幕第二場) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
僕は、当時金がなかったせいもあって神保町の片隅にあるすすけた感じ一杯の古本屋に行くことにした。捜していた本とは、『ロミオとジュリエット』。ある老店主はいう。 「この棚の中にあるので、すぐ探してさし上げます。ちょっと待ってください。今、眼鏡を持ってきますから」 思わず、僕は「目は、私が貸しましょう」と思わず呟いてしまった。 老主人の振り返った顔にはしわがれた目を細めた笑顔があった。かくて、僕は『ロミオとジュリエット』をタダでゲットできたわけだ。
<解説> シェークスピアのセリフは、質、量ともに人間の想像力の極限に達するかと思われるほど素晴らしい。「恋に目を貸す」というのは、恋は盲目だからです。上の文章はいつか、自分が小説を書くときに使おうと思ったネタである。
8月13日 私は電車の中で何かを読んでいないと気が済まないので、本を持っていないときはキヨスクで雑誌を買ってしまう。大体が『週刊アスキー』。その中で印象深い記事を見つけた。ネットの掲示板についての記事で、ある中学生が「天文を勉強したいと思うが大学の現状はどうか?」ということを質問したとのこと。そのレスポンスたるや「女の子が皆無」、「就職がない」、「きつい・つまらない」等々。その中にあって、匿名の教授が「宇宙が好きな人間は心がきれいな人間だ。君を大学で待っている。」という書き込みをしたという話。 こんな先生に出会ってしまったが最後、無駄で生産性もなく、社会に貢献もできない職や人生を選択してしまうもの。思えば私の人生の岐路もそんな良いのか悪いのか判断が未だにつかない師ばかりであった。彼らに出会わなければ医学部に行っていたような気がするし、もう少し社会に適合しようと努力していたように思う。偶に師と会う機会を持つ度に彼らが魅せられた世界の魅力を再確認し、そのための努力は惜しまなくなってしまう自分がいる。
8月12日 自分のとっておきのレストランとかいきつけのレストランってありますか?私はとても食べることが好きなので結構そんなお店が多いと思います。ところが、どうしても私は常連になってからあることがおきるとそのお店に二度と行きたくなります。それは、常連を常連扱いすることと、よけいな話を振ってくることです。暖簾をくぐったときに「お久しぶりです!」なんていう挨拶は嫌いです。「あれ?今日は一人?」なんてことを言われたときには席を立ちたくなります。(「いつもありがとうございます」というのも実はあまり好きではありません。)常連を常連扱いせず、ほかの客と同じように接してくれることこそサービスだと思うのです。私はあるお寿司屋さんが好きなのですが、週に二・三度通ったとしても、いつも「いらっしゃいませ」しか言葉を交わしません。ところが、ガリが好きだと知っているので、それとなく多めにもってくれたり、いつも最後に食べるものがあるのですが、そろそろ終わりだな、と思うと冷蔵庫から用意を持ってきたりしてくれます。その程度でいいのです。 自分がもし、お店を持つとしたらこんなサービスを提供してくれるお店にしたいものだとそれとなく企んでいるのです。 8月11日 よく、病院での一コマで「私の命はあの木の葉っぱが全部枯れ落ちたときに終わる。」というのをよく見ますが、「私の命はあのPCのCPUが止まったときに終わる。」と私が重篤な病気になったときにはつぶやくことにしました。 8月6日 |
by kiyo