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■卒業記念特別企画■
〜そして私はここにいた〜
この4年間出会い、そして、仲良くしてくれた友人みんなに、感謝を込めて。
卒業式当日の学習院大学の風景です。晴れわたり、桜がきれいな素敵な日に式を迎えることができました。
本当にみんなありがとう。そしてこれからもよろしく。
(写真はみな卒業式当日の風景です。小さく一人で写っているのは私です。)



2002年3月20日私は学習院大学法学部を卒業した。

1998年に入学してから4年間知的活動の場をこの目白で過ごすことになって、今日晴れてその区切りを迎えることになった。
この4年間は自分にとって自発的な目的をもって過ごすことのできたはじめての4年間だったかもしれない。

小学校から高校まで同じだった学校からまったく別の学校にくることの感慨は今でも覚えている。
入学が決まってから、「12年ぶりの白紙スタートだ。」と意識して門をくぐったのは鮮明によみがえる。
大勢の人の中で自分を知っている人は誰もいない。その中で人と繋がりを持ち、過ごしていくことは私にとって本当に幸せだった。
実際、四年間を通してみて、本当にたくさんの人々に出会い、そして今でもその中の大勢の人と交流を持たせてもらっている。

それは目白の中だけで学んだとはいえないものも多々あるが、やはり目白に自分のフィールドが移ってからはじまったことは大きいように思われる。
「白紙スタート」だとは意識はしていたが、大して意気込む気持ちもなかった。
いずれにせよ、人の中にいれば否応なく人と接せざるを得ない場合に遭遇するわけだから、そのときに自分の望む方向にコミュニケーションが取れればいいのだ、と思っていた。
今振り返ってみると、「紆余曲折」とは本当に言い得て妙だと感じるほど、いろいろなことが人との間であったが、いずれにせよ、他人と接することで何かしらの自分を探すことができたように思う。
目白から私はときに九州に、ときに北海道に親しくしてくれた友人を訪ねた。

東京で生まれ、小学校から吉祥寺の地だけで12年間過ごしてきた私にとって、目白へのフィールドの拡大は日本全国への足がかりになったといってもいい。
時には、そのとき楽しく過ごせているのにもかかわらず、その数時間後には別れ、そして、数ヵ月後には各地へ散ってしまう友人を思うとその楽しさに陰を感じ、十分に楽しむことができなかった。
このことは最近まで私の最もつらいことのひとつだった。

しかし、4年間を改めて振り返るとそのような杞憂はナンセンスだったのかもしれない、と思うようになった。
いまある友人たちとの関係を惜しみ、未来について憂いを持つことは間違っているように思える。

人と人との関係の歴史・未来は同じ町で自分自身の建物を同じ町で一生涯かけて作りつづけていくようなのかもしれない。
人は、その日常の中で、人格など自分自身をつくり続け、そして友人も自分の隣で彼(彼女)自身をつくり続ける。
そして、ふと顔を上げたときに屋根の上から隣を見てみると自分とはまた違った魅力的な建物(友人)がいる。このことこそが素晴らしいのであって、常に隣を見つづけ、一緒になって同じ建物を作りつづける事は間違ったことなのかもしれない。
更にいうならば、数年、数十年の月日がたっても、やはり、近所に自分のそれではない、彼(彼女)の家が前見たときよりも更に魅力的なものになり、笑顔でそこに迎え入れてくれるとすればこれこそが最も素敵な人との関係なのだと思えるようになってきた。

そうはいっても、やはり卒業アルバムを見るたびに彼らと過ごしてきた時間がもう二度とこないことを思うと、なにか胸が詰まってしまう。
2000人近い同学年の人々の顔をアルバムでみていると、もしかしてあの時、あの場所ではなく別の場所で出会っていたら、生涯の親友になったかもしれない、とどうしても思ってしまうから。
もちろん、反対に、この目白の学校の敷地だけでも数限りない出会いを繰り返すことができ、現在も継続できているものがある。
しかし、おそらく、もう一度4年前に戻れるとしても、
やはり4年後には同様の思いを抱くことになると思う。
日常何気なく過ごしても、選ばなくてはいけない選択肢は多岐におよび、元に戻って再選択をすることはできない。

確か、小学校の恩師が「時はアンコールに応えてくれない」という文章で私たちを送り出してくれた。
別に、いまやっとそのことに気づくほどのことではなく、日々周囲からさけばれている言葉ではある。
(ちなみにその恩師は、アンコールに応えてくれないのだ、ということだけを記しており、結論は書かれていなかった。どう捉えるかを私たちに投げかけていたのだろう。)

アンコールに応えてくれないから、なんなのか。後悔しないように一生懸命しなければならない、という短絡的なものではないように思う。
いずれにせよ後悔のある人生でいかに後悔をしないか、という問題が出発点であることを忘れてはいけない。
私はこの問題について、そもそも後悔をするメカニズムを自分から排除すればいいのではないか、と思うのである。
これからも沢山あるだろう失敗を後悔にはしたくない。

無理にその失敗を礎にすることもないと思うが、ほかに心のよりどころがあれば、その失敗に対する消極的な思いは最小化されるのではないだろうか。
「自分にはココがある。」
そう思えるモノがあれば、失敗したとしても自分のフィールドはその点だけではなく、今まで友人とともに育んできたモノが後ろに広大に広がっている、と感じることができるのだと思う。
これまでの4年間はそんなモノが大きく広がったものでありたい、と思うし、事実そうであるとするならば(今現在ではなかなか確認することが難しい)本当に幸せな4年間であったと思う。

こうして考えると、あの目白の地では自分と同じように共に、そしてこれまでの歴史の中で多くの人々がどうような自分のフィールド作りをしてきた場所なのだと実感できる。
あの門をくぐっていた人もそれぞれに自分がいつでも戻って休める場所を作り未来へと広げていく。
それは、学校であっても、会社であっても、人が集まっていれば同様のことがいえる。
学校であっても、会社であっても、いずれにせよそこにいるひとの現在は前線であり勝負の場所である。
学校であれば、学問を通じて、友人関係を通じて自分の場所を作りつづける。
会社であれば、経済活動を通じて、他人と接することで自分の場所を作りつづける。

そうして作られた過去にある彼(彼女)のフィールドはその人いつでも戻れる場所となり、後悔を最小化する機能を果たすのだろう。

あの桜の木の下で10年前に笑っていただろう人も、今日どこかで自分を作りつづけている。
そして、今あの桜の木下で笑っている人も、実は今必死で自分を作りつづけている。
時間と共にあの桜の木の下の場所の意味は変化することに気づけたことが私の4年間の収穫なのだと思った。

卒業式が終わり、一通りの行事を終えた私は目白の敷地の中をくまなく歩いていた。
人が日常を過ごすときに、緑に囲まれていたほうが、その活動はより充実したものになるかもしれない。
そう思えるほどあの学校は良い環境だったと思う。

生まれるときも、死ぬときもわからないこの不確かなものの間にある日常しか私たちは意識することはできない。
そんな不確かな「はざま」をよりよい環境で過ごせたこともまた幸せだったと思う。
自分の一生を振り返るときにさまざまに光り輝くものであってほしいし、この4年間の日常がその輝きの一つになってくれることを願ってはやまない。
そしてそれを確かめるのはずっと先のこと。

そのときも、私は周りにいてくれる友人たちと共によりよい明日があるという希望を持ちつづけていたいと思う。
上述の話と矛盾するかもしれないが、やはり私はお互いに進む道が違っても、この程度(それがとても贅沢なことなのは確かだが、)の目的の共有はしていきたい。

この点が甘さや弱さなのかもしれないが、克服するには未熟だし、今の私とっては考えることができない。
この4年間に出会ったかけがえのない友人たちとこれからの未来を歩むことができる幸せと勇気に感謝しながらここに筆を置く。


                                                      2002年3月20日



by kiyo