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■議論の余地しかないかもしれない■
-like a diary-

2003年
12

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last massage from kiyo

 

生まれるときも、死ぬときもわからないこの不確かなものの間にある日常しか私たちは意識することはできない。そんな不確かな「はざま」の一部を、よりよい環境で過ごせたこともまた幸せだったと思う。
 自分の一生を振り返るときにさまざまに光り輝くものであってほしいし、この4年間の日常がその輝きの一つになってくれることを願ってはやまない。
 そしてそれを確かめるのはずっと先のこと。そのときも、私は周りにいてくれる友人たちと共によりよい明日があるという希望を持ちつづけていたいと思う。上述の話と矛盾するかもしれないが、やはり私はお互いに進む道が違っても、この程度(それがとても贅沢なことなのは確かだが、)の目的の共有はしていきたい。
 この点が甘さや弱さなのかもしれない。しかし、克服するには未熟だし、今の私とっては考えることができない。この4年間に出会ったかけがえのない友人たちとこれからの未来を歩むことができる幸せと勇気に感謝しながらここに筆を置く。

 

 

さて、これは私の大学卒業記念の特別企画『そして私はここにいた』の一部である。あれから2年間が経った。振り返ってみれば、あのときに書くときに想い描いていた「かけがえのない友人たち」は私の側に入れくれている。そして、私のことを暖かく送り出してくれた。年末から年始にかけて私は本当に色々な人と会った。久しぶりの人もいたし、いつものメンバーもいた。(岡山から出てきてくれた強者もいた!)年齢も二十代はもとより、八十代の方もいた。その数の多寡のほどは定かでないが、強力な布陣であるし、私を幸せでない、という表現は出来ようもない、と自負できる。皆、優しく、暖かく私に接してくれた。もう何年も会えないというわけでもないのに、しっかりと私の目を見据えて、健康や先行きを案じて下さった。その心遣いに応えるにはどうしたらいいのだろうか。精一杯がんばるしか道はない。唯一欠点をあげるとすれば、結果がついてこない場合も、笑顔で日本で出迎えてくれる位、皆優しくしてくれることであろう。ともあれ、私はがんばらなくてはいけない。明日から始まる新しい日々を精一杯やってみようと思った。根性がない私でも、あれだけ応援して下さる方々がいれば大丈夫。北海道や岩手、大阪、山口、福岡、日本全国から私を送り出して下さった方々。本当にありがとうございます。ありがとう、としか言えないが辛いほど。感謝しています。

日本に帰ってきたら、また、仲良くしてください。もう、一人一人に挨拶をする時間はなさそうです。でも、kiyoもずっとずっとみんなのことを遠くから応援しています。

それじゃ、行ってきます。またね。ばいばい。

 

あと、6時間後には機上を控えて。

 

Kiyo

 

 

 

 

1226

 さて、年末ですが、特にこれといって変化のない生活をしています。(クリスマスについて書いたばかりですが、考えてみれば親しい人と夜ご飯を食べるのは日常茶飯事です。)犬や猫を観察しているとわかりますが、彼らは、年末とか年始という感覚はさほどないようです。おせち料理もそれほど喜びません。そもそも、私の家には、おせち料理がありません。母がずっと前に作っていたようにも思われますが、その時から口にしませんでした。私の場合にはおせち料理が嫌いだからですが、一般的に考えてみてもこの時期しか食べられないとか、今なら特に安く買える、というわけでもない、むしろ、逆にこの時期だから高い、というようなものを競って買い求めて食べるのも、いかがなものでしょうか。環境負荷も幾分増す方向かと思います。いつも、コンスタントにメリハリのない生活が理想的ですし、結構私は実現しているように思います。というか、そんなところでしかメリハリをつけられない生活、というものを見直しても良いのでは、と思うわけです。思っているだけで、強くはすすめませんが・・・。

 

 

1225

 今日がクリスマス本番です。ま、本当のこというと何がめでたいのか分かりませんが、とりあえずネタに困っている常日頃ですからここぞとばかりにここ二日間はクリスマスネタで書こうと思いました。実は、私の家は12月にはイベントが満載でした。15日が私の誕生日、20日が妹の誕生日、そして25日がクリスマス、というわけです。というわけで、結構我が家では昔はせわしなくクリスマスが過ぎていたように思います。前に、ある女の子がお互いの誕生日は夏・秋にばらけてあったほうがいい、なぜなら冬はクリスマス・バレンタインとイベントがあるが夏秋には無いから、お互いのテンションを保つため、と言っていたのを思い出します。(ま、そこまでして関係を続けなくちゃ行けないのか?っていうのは誰かが言い出しそうですが、この際抜きで。)私がもっているクリスマスのイメージと他の人が持っているイメージとはずいぶん違うのでしょうね。まるで、自分が観光地に住んでいるようです。そこに住んでいる人には生活している場所に過ぎないのに、他の人にとっては観光地。

 そこかしこに誰かの大切な場所・大切な日が隠れているというわけです。

 

 

1224

 さて、今日はクリスマスイブ。夜まで私は家の中で渡米の準備や仕事に追われていたのですが、PCのモニターの前に座りながら今頃色々なクリスマス模様が展開されているのかな、と想像しておりました。いざ、夜になって外に出てみると結構「ふらんす亭」に行列が出来ていたり繁華街はクリスマスらしさはないものなのですよね。(っていうか、もう数週間前からクリスマス雰囲気いっぱい過ぎていざ、イブや当日になってもわからない!)ところが、住宅街をみていると結構クリスマス模様。家々では笑い声がいつもより聞こえるし、アパートの前で別れを惜しんだり、帰宅を急いだりしているカップルがそこかしこに見えるものですね。考えてみれば、本来的なのでしょうか。街に繰り出してレストランで食事をするスタイル一つだけが流行するのではなく、親しい人と家で過ごすのも一つ、ドライブに行くのも一つ、勿論教会にいくのも一つ、というようにスタイルが細分化されるのは良いことだと思います。そもそもキリスト教のお祭りだ、とかそんな話しはもう聞き飽きません?なんとなく大切にする夜っていうことで良いと思いません?

 これで、今夜の夢も良いといいのになー。

 

 

1223

北朝鮮関連施設に色々犯罪を起こした、義勇軍事件覚えていますか?これまでに逮捕されたのは11人、自殺者一人。たぶん、今後とも逮捕者は増えるでしょう。この事件の特異なところは、逮捕者の誰一人として、普段右翼団体に属している経歴は無い。ちょっと保守的な市井の人々に過ぎなかったということです。
 私は、右にしても左にしても、思想犯罪をして何かの「危険な兆候」と感じたことは過去に一度も無い。でもこれは、普段、ほんのちょっと愛国的なことも言ってみる、ジャパニーズ・トラディッショナルな刀剣愛好家が、さしたる躊躇いも見せずに、単なる威嚇とニュースにしかならない犯罪行為に走ってしまったということです。
 2ちゃんねるを初めとして、ネット上には、さしたる思想的な訓練も挫折も経ずに、単に右翼的な発言をある種の格好良いスタイルだと勘違いしている人々が一定数いるけれども、思想と言葉というのは、自己満足のための道具ではなく、最終的には、それが聴衆や批判する対象者に届き、某かの賛同を得て、いくらかの翻意を促すことが目的であり、それが成果です。そこを履き違えて欲しくない。

 

 

1222

 最近色々なことを考えすぎてしまって眠れない日々が続いている。私は、このコーナーでも何度か書いているように癒しなどはそれほど好きではないし、癒されるって何だろう?って思っている方であるのだけど、実は気分が乗らない、気分転換(それも数日間に渡って好転する期待がもてるような転換)をしようとするときに、必ずすることがある。年に12回やるかやらないかのこと。それは、自分の車で吉祥寺駅から中学・高校時代を過ごした学校まで通学路をゆっくりと真夜中に走ってみることである。フロントガラス越しに見える景色は、まぎれもなく友人と毎日通った道である。あのときは自転車で友人と二人乗りをしながら駅から高校まで住宅街を疾走していた。本当に不思議なことに、フロントガラス越し、ハンドルを手前にしてみるその通学路は何故か、違和感というか、そこに立てば見慣れたもののはずなのに距離感を感じさせてくれる。感じさせてくれるというか、感じさせられてしまう。ただ一枚のフロントガラスがあるだけなのに。こうも見え方が違う。そして、その景色は「もうここに君の居場所はない。君の隣にいたあの人ももうずっと先にどこかへ行ってしまった」ということを耳元で叫ばれている気がする。自分の幸せはもう未来にしか残されていないことを否応なしに教えられ、帰路につく。

翌朝仕方なくといっても過言ではないけれど、やっぱり自分の目の前にある問題に取り組もうとしれくれるもう一人の自分がいる。

 

 

1219

もうずっと昔に友達が行っていた言葉が何があったわけでもないのに最近になってまた、気になり始めています。「みんながみんな好き勝手すれば、みんな幸せになれる」ということです。結構、そうかも。好き勝手すると迷惑がかかるだろうか?本当に好き勝手すれば、他人にも迷惑にならないんじゃないだろうか?なんてことを考えています。(本当は経済学で言う「囚人のジレンマ」に苛まれるのかもしれない。)私は実はこういうことに二時間くらい何もせずに考えていたりすることが結構ある。さてさて、こういった訳のわからん議論について考えましょう。

このメールは、固定観念にとらわれず、時勢にも流されず、自由気ままに、ほんの少しだけ「待てよ」という、「あらら?」という、短い疑問をつついて、遊ぼうという、「ひまつぶし」というか、「ひつまぶし」というか、真剣かもしれず、遊び半分かもしれずというか、どうやって終わるんだこの文章、というか…、そんな感じです。当たり障りのない問題について、ちょっとだけ違う角度から、僅かに深く、自分一人で議論してきました。でも、読まされている人が「へえ、そうなの」的なことがあれば、まあまあ目的達成みたいな、そんな希望的観測でデザインされているのです。特に「(゚Д゚)ハァ?わからない」と感じられた人は、正常ですので、ご心配いりません。遠慮せず、積極的に自分で考えてください。自分以外で考えることは、はっきりいって不可能だと思います。このコラムは、小説かもしれません。

 

 

1218

 学校からの帰りに道ふと、思い立って帰路からはずれた西永福の駅近くにある小さな茶道教室に通い始めたのが中学二年生の時。もう十年も前になる。あれから十年、何度かのブランクがあったもの続けていたおかげで茶道の所作を体で覚えるようになった。今日、アメリカへ行く前の最後の茶道の稽古だった。大正生まれの私の先生は、最後にと、稽古の跡に私にお茶を点てて下さった。小さな背中を丸め、茶筅(ちゃせん)をリズムよく動かす音だけが茶室に響き渡る。私はどちらかというと、上達の遅い生徒の部類であったが、あのとき初めて点前の所作一つ一つに私を送り出してくれる優しさを感じた。それは、星座のように、個別の動作自体はとりたてて意味のないことだったかもしれないが、正客の席から静かに眺めていると、相手の気持ちを感じることが出来た。言葉にされた途端に、気持ちは表現しやすいものに置き換えられ、相手に伝わるときは100パーセント正確なものではなくなる。そんな不自由さを克服するために、人間はいろいろな試みをしてきたわけだけれども、小さな茶室の中で向き合うことで、そこに全く会話らしい会話もないのだけれども、実は数多く語ることよりも相手に気持ちを伝えることが出来る世界があった。私に先生がかけて下さった期待、優しさ、身を案じる心配、そんな心遣いの数々が体全体に伝わってきたとき、思わず涙しそうになった。

何年たってもあのとき感じることができた優しさと点前の風景は忘れることはないと思った。

 

 

12月16日

 こんな私にもなぜだか、「利殖のために都心にマンションを」とか「○○の先物取引で〜」とか、電話があって「お得ですよ」と言ってくるのですが、誰かが得をするときには、誰かが損をしているわけですから、誰が損をして、その金が集まるのか、そのメカニズムを教えてほしいものです。(質問してみてもちゃんと応えてくれない。そして実は大方知っている。)例えば競馬の場合は、馬券を買った大勢の人が損をし、そのお金を競馬関係で働く人々(競馬場の設備とその維持も)や国家がもらい、その残りがほんの僅かな一部の馬券購入者に分配されます、といった金の流れが明確ですので安心して損ができます。(ところが、私はいちいち馬のデータを集めて頭を使わなくては行けないので馬券を買うことはありません。イベント的に有馬記念だけは購入していますが、それもフィーリングと武豊。別にそれも武が好き、というよりは唯一知っているから、という理由に過ぎないのが、哲学不在っぷり)

 そういえば、「早起きは三文の得」という言葉もそう・・。これ、苦労して早起きしてもたったの三文にしかならん、という意味ではありません(きっと)。そもそも、その三文はどこから奪った金でしょうか。寝ている人からでしょうか?(たぶん、そうでしょうね)だったら、何故、「朝寝坊は三文の損」と言わないのかな。寝坊している人が早起きする人の10倍いて、被害が10分の1だからかな。どうも「得をする話」ばかりが多い世の中に思えます。

 

 

1215

 今日は私の誕生日です。出典を知りたいものですが、ローマ皇帝のネロも同じ誕生日らしいです。この地球には60億人を越える人がいるそうですから、同じ誕生日の人を単純計算しても、およそ1650万人が同じ誕生日なわけです。ま、特別な日といえばその通り。実は数年前大切な試験を受けるために乗った電車の中でずっと考えていたのは、「今日はなんでもない10月のある1日にすぎないけれども、私にとっては一世一代の大切な日だ。一方で寝て過ごす人もいるわけだ。自分にとって何でもない日がある人にとっては人生で一番大切な日・時間になっているかもしれない」ということです。試験なんかじゃなくても、1650万は「あー、今年も一年年を重ねた」と、考える日ではあるわけです。(喜んでいるか、悲しんでいるかは別としても。)今もどこかで、千載一遇のチャンスに出会ったり、必死で生死の境を彷徨っていたり、もしかするとこれから150年も生きる人間が生まれたり、数世紀に渡って種を保ってきた生き物が絶滅したりと、結構大切な(それこそ主観に頼る判断ではあるわけだけれども)瞬間が通り過ぎているのかもしれません。それはまるで星の○○年(世紀)に一度の大接近!みたいに、あまりにそんなことが沢山ありすぎるのでその「重み」が薄れているのに似ているかもしれません。

 少なくとも自分の隣人や友人の大切な瞬間には、それなりの関心と理解をもって望みたい、と思いました。 本当に各所でずいぶんと使い古された話しかもしれないけれども、敢えて書いておこう。何百回も小さい頃に観た『不思議の国のアリス』のアニメで「なんでもない日おめでとう!」と、どんちゃん騒ぎをしていた、いかれ 帽子屋のティーパーティは忘れられない。

A very merry unbirthday to me, to who?.♪〜
A very merry unbirthday to me, to you?.♪〜

 

 

12月11日・12日

プルルルル・・・カチャ

「お、すごい出るの早いねー」

「あれ、いま僕も電話しようとしていた所なんだ。すごい偶然だね」

 

 こんな会話したことありません?実は私は何度もある。毎日電話している人だけじゃなくて、それも数週間連絡を取っていない友達に電話しようとしていてもある。「以心伝心」とはまさにこのためにあったような言葉だ。むしろ、こういうことが多いから言葉になったともいえる。ま、科学的にはいろんな説明がつくのでしょう。心理学の分野が有力かもしれない。フロイト的には、両者の関係性が深いために、深層心理で相手がいつコミュニケーションを撮りたくなるかを測っていて、そのタイミングが合うようになったとか、ユング的には「共時性」だとか。そもそもなんで不思議に思うか、ということを考えると、西洋的な科学が支配する世界の隙を見るようで面白い。連絡も取っていない相手が同時期に同じ事を思いつくという、原因と結果の因果関係が成立しないから「不思議」がそこに存在する。落ち葉が足下に落ちるのも凄い偶然だと思うが、そこに「不思議」が一般として考えないのは落ち葉の「集合」が「一面」に向かって落ちている、と考える科学によって「原因」と「結果」が説明づけられているからにすぎない。あの三番目の枝の一番端の葉が自分の足下に落ちてきた理由は当然説明がつかない。なぜ君と僕が同時刻に同じ考えを持ったのか、なぜ飢饉は続いたのか、なぜ自分の父はあの場所で事故死したのか、なぜ今日は何をやっても上手くいかないのか、そんな疑問は実は科学に染まっていない人(例えば、子供)がよく考える。なぜなら目の前にある「結果」にたいして、科学の知識や文化に染まってさえいなければ実は「原因」を探す作業は多岐に渡ることが出来るからである。さて、科学が世界大に浸透しない頃、中国や日本では、こんな疑問について一生をかけて、むしろ何世代もかけて考え続けたに違いない。(「結果」にたいして「原因」を見つけ出すアプローチの違いと言っても良いと思う。)それは科学と同じ動機の下で行われたに違いない。すなわち、今自分の目の前にある現象を何とかして説明したという欲求である。そして、その作業に現在の科学と同様に多少なりとも成功したらどうだろうか。あなたち、風水だとか暦だとかはウソとは言えないように思える。そして、もっと言えるのは、それらの成果は一冊の本で済むものでもないと思うし、なによりも未来を予想したりしてラッキーな成果を得ようとすることこそ、副次的な作用の一端にすぎないのではないだろうか。(地球物理学の研究から天気予報の精度が高まるようなもの。)

前述したように、これらの研究を始める動機は、そもそも人間を取り巻く環境をなんとかして説明したい、ということから始まったはずだからである。なぜ、君と僕は実は目に見えない通信回線がある、日食がおこれば飢饉がおきる、あのとき蛇を踏んだから君の父は死んだ、今日は君にとって厄日だ、そのような説明をする科学とは別の「体系」があっても良いと思うし、なによりもそこに再現可能性があれば権威や信頼性が根付いていくものだ。逆説的には、いま世界を支配している科学も絶対的なものではなく、信頼性や利便性に根付いた「程度の問題」でしかないといえる。そういえば、ユングは「共時性について理解することは、我々にとって非常に神秘的に見える東洋の全体性についての考え方に対してその扉を開く鍵である。」といっていた。

 そんな理由で私は結構東洋的な学問の成果に触れはじめたように思うし、科学と同様の覚悟を持って接している。

いや、果たしてそうだろうか。むしろ、「小指の赤い糸」や「運命の出会い(人)」を信じたい一心だからかもしれない。

 

 

12月10日

 このごろ話題になっているように思えるデザインやリフォームについて。実は毎週『劇的リフォームビフォーアフター』を観ているのだけど、あれを観ていると、自分が家を造るとしたらどんな家にしようか、と思いを巡らせることが結構ある。そして、考え始めたことがある。「木に果たして温もりはあるのか」「太陽光を取り入れることは気持ちが良いことか」「余った部分に収納を持ってくるのは便利か」「多用途家具は便利か」「これまでにない設計とは優れたことを指すのか」といった疑問の数々である。温もりって何だろう?きっと心理的な「気のせい」だ。そんな「気のせい」に設計者がエンジニアとして真剣に取り組んで良いのか?純和風建築は結構日差しが悪いが気持ちが良い(だって、部屋は障子・縁側・ひさしの奥に設置されているので日がダイレクトには差さない)、自分の好きなものをしまうのに、部屋の余った部分や見えないところに「隠す」とは、本当に好きなものを入れているつもりか、好きなものに囲まれたくはないのか、多用途とは一つも役割もを持っていないということの同義ではないのか、これまでにデザインされたことないことはすなわち、誰も取り組む必要がなかったからではないのだろうか、そんなことを思ってしまう。

 家族のコミュニケーションを大切にする、緑が美しい、コンクリートは無機的だ、天井が高いとのびのびできる、日が差していると気持ちが良い、そんな常套句は、果たして正しいのか。正しいかもしれない。ところが、本当に正しいのか、自分にとっても当てはまるのか、疑っているそぶりも見せない建築家と住人(デザイナーと消費者といってもいい)が沢山出てきて洗脳しようとするのは結構うんざりしてきた。「使いやすい」と「使ってみたい」が同義だとは少なくとも私は思わない。

 

 

12月9日

私の後輩yuuHPにも先輩Kの言葉として書いてあるのですが、「雨降ってずぶぬれ」っていう言葉があります。(笑)それは私の言葉です。やまない雨はない、とか、いつか夜が明けるとか、いつか春は来る、とかいうけれども、雨が降った後は、ずぶぬれだし、夜や冬の間中は体は冷え切っているし、そんな中で次の季節を迎えなくちゃいけないことが本当に辛いことだ、ということです。でも、あなたが見つめる未来確実にビジョンとしてあるのなら、次にくる季節がきっと素早く暖めてくれるのだと思う。そして、私たちが出来るのは、その程度のことでしかないのだと思う。つまり、受けた傷を癒すことは出来るわけでもなく、早くどうすれば忘れることが出来るか、そしてそれは、忘れるというよりは、ハッピーな次のステージに進んで忘れたことにする、という問題の本質からはずれた措置に終始すること。でも、そのことしかできない、っていうことはすべきことはそういうことです、っていうことなのだと最近思う。

もっと、言えることは、そんな次のステージに上がるための方途は自分との対話に他ならず、何をどう対話したらいいのか、どうしたら見つかるのか、分からない。ところが、それこそが自分が乗り越えるべき問題であり、目に見えるハードルがある問題など、もはや手段は明らかなのだから問題ではなく、するかしないか、ということに帰着できる。お先真っ暗な現在にこそ、次のステージへの一歩が隠れていることは自覚しなくてはけない。

 

 

12月8日

 アメリカに行くに当たって、日本との連絡手段として携帯電話が使えたらいいな、と思い、色々調べてみました。そうしたら、どうやらボーダフォンの121日に発売になった機種が良さそうだ、ということなので、週末に購入してみました。(なかなか、タイミングよく発売してくれたのでびっくりですね。)というわけで、その携帯電話は、そのまま私の携帯電話番号を押してくれるとNYにいる私につながるし、さらにはテレビ電話までで来ちゃうのです!私の父はアメリカとドイツに留学していたらしいのだけど、オハイオの田舎の大学に行ったときは新聞に載ったそうだし、ドイツでは、日本食を食べようと思っても、醤油しか無くて、大豆からもやしを自室で栽培してそれを炒めて日本食(?)にして食べてみたそうです。それから三十数年。いまや、地球の裏側で番号も換えたり、加えたり(国番号とか)することなくテレビ電話でコミュニケーションが出来ちゃうのですね・・・。まさに隔世の感といったところでしょか。一見すると、技術の進歩ってすごいと思いがちですが、実は、正確には、それまでの困難は、技術的なハードルじゃなくて、ネットワークの整備や個別のスタンダードがグローバルスタンダードに伝播・統一することだけのことなのでしょう。さて、グローバリゼーションというと、どうしても、伝統的文化の破壊や富の再分配システムの崩壊・不平等が叫ばれるのですが、消費者にとって何が「得」なのか本当によく考えなくては行けませんね。

 

 

12月5日

今日の早朝に、NHKで放映されたのですが、「黄身返し卵」というものが紹介されていました。これが何かというと、黄身と白身が逆転したゆで卵のことで、江戸時代の料理本に載っていたらしい。所が、現代、その料理法で作れたことは一度も無かった。それを、今回、長野県岡谷市の機械メーカーさんがチャレンジしたらしい。原理は簡単で、当然比重差を利用して遠心分離器で入れ替えるんですね。ただ、黄身の膜を電磁波で破壊したりと苦労はあったらしい。私が結構凄いと思ったのは、これを開発した社長さん。この機械を家庭にいれるには、まだまだ小型化しなければならないと頑張ってらっしゃることです。うーむ・・・、と思わずうなりたくなりませんか?果たして、家庭で一般的に使われるのか?

(ま、いつものコラムのパターンで行けば、ここで、「銀行が貸し渋ったり、剥がしたりするとこんなロマン(?)に挑戦する芽も摘まれるのか」などとオチをつけるのだけどありきたりなのでやめましょう)

 流行のバイオだとか、先進のシミュレーションなど、多くの設備投資と寡占的技術を必要としない、いわゆる紙の上だけで世界を論じられた時代の技術でもって不思議を実現した成果を見せることはまだまだ出来るんですね。そういえば、テレビでやってる心霊現象の殆どは高校までの理科の知識で説明できるんだよね。

 

 

12月4日

 国際法というのが大学での専門だったのですが、私が大学院進学まで希望した(結局失敗したが)魅力は、そこかしこにドラマがあることです。わかりやすい例を挙げるならば、ニュージーランドで捕まった、フランスの秘密工作員の男女。その男女が、フランスの孤島で3年間監禁されることになったけど、途中で妊娠しちゃってフランスがパリに戻したのだけど約束が違うと怒ったニュージーランドとの紛争の話。いやードラマだ。色んな事を知っていくうちに究極的には「愛(あるべき未来といっていいかもしれない)」がみえてくるということです。どうやったら国同士がうまくいくのか、人同士がうまく行くのか、そもそも何が大切なのか、ということを考えているわけですが、このプロセスの中でいろんな仮説を立てたり実証・分析をしたりするのだけど、結局のところいちばん重要な要因は「愛」のような気がしてくる。やっぱり愛がある組織はうまく行くし、愛のある関係がなければうまいことやったとしてもそうとう苦しいかな?ということを良く考えるのです。でも、まあ学問としてはいきなり「愛だろ、愛。」なんていっていられないので、愛を語らずに、なんとか理論を考えていかなくては行けないのでしょう。色々本を読んでいると愛の輪郭が見えてきて、なるほど、学問的成果の上に見えてきたあるべき未来はこれなのか、理論的に語るべき愛はこれか、と考えさせられます。そう、それが面白かったんだ。

 

 

123

 今日は番外編。後輩とゼミ発表の話しをした。所詮学部の発表なんてものは発表者の側が一方的に知識を持っているにすぎないのだから、エンタテインメント性が欲しい、といことになった。そこで色々考えてみた。国際政治風にやってみよう。

○鉄拳風(出来るだけ外見も近づけよう)〜こんな○○は嫌だ!〜

「こんな、国連総会は嫌だー。」「みんな、変なつけひげをつけて出席してる」

○パペットマペット風(もちろん、牛さんとかえるさんを持って)

「牛さん牛さん、大変だ!」「どうしたのかえるさん?」「友達のかえるが潰されてる!テロだー。」「くしゃ。」

○長井秀和風(ま、微妙です)

「緒方貞子は、小泉純一郎が嫌いだ。間違いない。」

○?名前忘れたので今度挿入しておく。

「戦争したいときーっ!」

「戦争したいときーっ!」

「安保理が機能不全で、国際司法裁判所も張りぼてだって気づいたときー!」

「安保理が機能不全で、国際司法裁判所も張りぼてだって気づいたときー!」

 結構色々出来るね。

 

 

12月2日

 手紙やメールや電報は保存していますか?

私は、メールは全て保存してありますし、手紙類は直筆で私信的なものは全て保存してあります。特に理由はないのですが、年賀状などは前年度に貰ったものをその年に書くときの住所データとして使いますし、十二年もとっておけば、干支が一巡したときに、前回もらった年賀状がデザインの参考になるかも、などと訳のわからない企みをしていたりします。メールは保存に場所をとらないし、五年分を計ってみましたが1Mにも満たないので余裕(?)です。

ところが、手紙を出した方としてみれば、読み終えたら捨ててもらってた方が気が楽なんだろうな、と思います。(事実、私もそう)ところが、受け取った方としては、そんなに捨てられるものでもありませんよね。受け取り手と差し出し手の気持ちの意図がこれほど違いものもないのではないでしょうか。

今まで紙の切れ端や葉書・手紙、名簿などをごちゃまぜに袋に入れておいたものを自分の名簿にしていたのですが、今回データベース化したところ、そんなことを思いました。年賀状制作も佳境です。

 

 

121

後一月ほどで私は日本を離れることになります。私がいなくなった後、私の周りにいたみんなはどんな風な日常を送るのだろうか、そんなことばかりが気になります。中には、大変感謝に尽きないことなのですが、私がいなくなった後、寂しがってくれる人や、何かと困る人もいるのです。できれば、そんな思いをさせることなら行きたくないと思いました。(かといって今更行かないわけにはいかない。)

「人と人との関係の歴史・未来は同じ町で自分自身の建物を同じ町で一生涯かけて作りつづけていくようなのかもしれない。人は、その日常の中で、自分自身をつくり続け、そして友人も自分の隣で彼(彼女)自身をつくり続ける。そして、ふと顔を上げたときに屋根の上から隣を見てみると自分とはまた違った魅力的な建物(友人)がいる。このことこそが素晴らしいのであって、常に隣を見つづけ、一緒になって同じ建物を作りつづける事は間違ったことなのかもしれない。」

かつて、私が書いた文章だけれども、そんな覚悟は後ろ髪引かれる思いにぼろぼろである。それが今の自分の現状であることは確かなことだ。そして、その上で自分がいかにすべきか、見えない。

 

 


 

 

 



by kiyo