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特別企画
■次の文章を英訳しなさい■
私が英語の家庭教師をしているときに、英訳の課題を毎回課していました。
数題出題するのですが、最後の問題は勉強にアクセントをつけるために
問題集の写しだけではなく、自分で選んだ文章を載せることにしました。
見直してみると、結構名文が集まったような気がするので、特別企画として
紹介させて頂くことにしました。楽しんで下さい。
(もちろん、英訳してくれれば、ちゃんと添削して返信します(笑))
* 8月29日 問題の本質を見抜き、常に最良の解決を発想できる才能が参加していても、「若い」か「新し過ぎる」間は自分の意見が聞き入れてもらえないので、去っていくか、黙っているか、しているでしょう。この効果によって、会議は自らの能力を低下させる機能を持ちます。 (森博嗣)
* 9月6日 駄目だ。負けた。リベンジは月曜日。 メイリッシュは近くて遠い。 誰もいないということがこれだけの壁を造るものなのか。 5階というボタンを押すことがこれだけはばかられることなのか。 ちらりと見えたメイドの服に導かれることもなく、あたしはエレベーターへと逃げた。 逃げ込んだ。加藤と一緒に。 翻ればコスプレを寄せ付けないあたしでいることこそが、メイリッシュに入る一歩目ではないだろうか。 メイドに合うか否かではなく、コスプレ喫茶に入るか否かである。 それを喫茶に入るか否かにしてしまえば何の問題もない。 問題がないということは、何も意味がないということだ。 意味のない人間になることこそが、何事をも受け入れる人間になるということではないか。 無我。 次こそは入ってみせる。 どうやって楽しむかは期待通り。 (るっぱの日記)
* 9月20日 難民たちの声なき声の積分が国連を動かし、国際社会を動かしているということを忘れてはならない。全てはそこから始まる。このような時代には、難民・避難民たちには明日を力強く生き、昨日より明日をよりよく暮らすというささやかな希望と努力が必要である。 (緒方貞子)
* 10月14日 大学で哲学を教えている、というと、気難しい、笑わない、怖い、威圧感がある、通販雑誌を見て注文したりしない、といったイメージがある。私は実際にこのイメージである。私は実際このイメージ通りの人間だが、周りの人達からは、まったく逆のタイプの人間だと誤解されている。 確かに、何も知らない人が見たら、私が通販雑誌を見て注文しているかのように見えるかもしれない。しかし、実際には、注文しているのは妻である。私がやっていることはただ雑誌を見て、妻に、「買っても良いか」と尋ねることだけである。これまで妻に打診した五点のうち、注文してもらえたのは一点だけである。しかしそれでも普段のことを考えると、奇跡的に高い確率だと思っている。なお、妻は自分の欲しいものは勝手に注文しているが、私は哲学者らしく、口を挟んだことがない。 (土屋賢二『われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う』1999年)
* 10月14日 でも・・・彼女を傷つけないように離れるには、どうしたら良いんだろう?さっさと立ち上がってしまって良いものかどうか、あと一歩の決心が付かなかった。いくらデリカシーのない僕だって、恋がどういうものかってことくらいは分かる。もし、彼女が本気なのだとしたら、今どれほどの勇気を振り絞ってこうしているかもよく分かる。女の子なら、なおさらだ。 その時ふっと、かれんとの二度目のキスのことが頭に浮かんだ。いや、正しくは二度目のキス「未遂」のことがというべきだが・・・たった二杯のワインで酔っ払っていたあのときのかれんは、自分の方からキスを誘うように目を閉じたくせに、そのままスヤスヤ眠ってしまったのだった。 (村上由佳『彼女の朝(おいしいコーヒーのいれ方V)』1997年)
* 10月20日 それからずいぶんと時が流れた。気付くと、僕はルコの年齢を追い越していた。その間に僕は多くの人を傷つけ、多くのものに失望し、そうすることに慣れていった。開けられることのない空色の封筒は、今でも僕の机に引き出しに入っている。封筒の上にある写真の中では、小学生の僕がすましていて、中学生のルコがそっぽを向いている。ルコの最後の謎々は勝敗を決せられることのないまま、僕の胸の中で倦(う)むことのない足踏みを続けている。なくした宝石は本当に綺麗だったのか、それとも手の中にないからことさら綺麗だったように感じられるのか、その宝石を再び手にすることがない以上、僕は生涯悩み続けるだろう。 ついこの間、言葉を覚え始めたと思っていた甥は、早くも小学校に通うようになった。僕は約束通り、甥にキャッチボールを教えてやり、そして時々、一人の女の子の物語を聞かせてやる。彼女はとんでもなく無鉄砲で無茶苦茶で、甥は目を輝かせて、彼女と下部のように彼女に付き従う一人の男の子との冒険談に聞き入る。 (本多孝好『MISSING』2001年)
* 10月27日 「上級司令部を代表して、何か一言おありかな?」 信岡は鈴先の挨拶を促した。 「そうですな。救難隊で半生を過ごした一人として、君達のことを誇りに思う。残念だが、我々が君達に与えられるものは、値打ちのない勲章と、ただ名誉と誇りだけだ。」 「何人も、金のためには飛ばない。それが我々の誇りだ。」 (大石英司『緋色の狐』1996年)
* 11月2日 @ 今もピアノを弾きながら考えるのは、明日への華やかな夢ではなく昔のこと。特に、あの素晴らしいベルリンフィルを毎週のように弾けた西ベルリンでの日々は、私にとって素敵な思い出よ。 A 最初の頃、私の弾く「カンパネラ」をメチャクチャにけなした音楽家がいたの。でも、平気だった。ぶっ壊れた鐘があったって良いじゃない。私の鐘だもの。ウィーン時代、二、三の著名なピアニストが私のカンパネラを聴いて、あなたはきっと世界的なピアニストになれるわよ、と言ってくれた。 (フジ子=ヘミング『フジ子・ヘミングの「魂のことば」』2002年)
* 11月20日 「大丈夫!あんたは結構強い子よ。宇宙で暮らしているとね、それまで築き上げてきた価値観が崩れて無くなる瞬間に遭うのよ。そのことにあんた自身がびっくりしちゃっているだけなのよ。いま、あんたの心はね、でっかいものの見方を覚えたばっかりなのよ。」 (幸村誠『プラネテス第3巻』2003年)
* 11月28日 闇は光のないところにばかりあるとは限らないのだ。闇は至るところにあるじゃないか。その証拠に今私は自分がどんな姿をしているのか分からない。生暖かい雨が全身を包み、どこまでが雨か、どこからが自分か境が良く分からない。 (京極夏彦『姑獲物鳥の夏』1998年)
* 12月4日 ・・・略・・・彼女は昭和20年8月15日を知らないのである。僕だって生まれていたわけではないが、とにかく、いわゆる一つの常識というやつである。彼女の反論、いや弁解はこうだった。 「私、年表って苦手なんです。」 僕は少し不意をつかれた感じになった。歴史的事実は年表の中にしか存在しないと思っている人がいることに。人がいて、事件があって、真相があぶり出されて、心を揺さぶられて、そうしたことの塊がちょっとだけ時間の壁に妨げられているだけなのに。 (猪瀬直樹『小論文の書き方』2001年) |
by kiyo